滑り止め施工における基準(数字)と官能のバランス(ME工法)
滑り止め業界における官能パネラーの重要性
滑り止めの業界において我々は正真正銘、官能パネラーなのです。滑り感覚は食味検査で言うところの食感・旨みの感覚と同じです。理化学的に判断できないのです。理化学的な要素があるとすれば、床材の摩擦感、人ならばメカノレセプターと言ったところでしょうか。メカノレセプターと言うのは高齢になればなるほど影響が出るものです。
滑り感覚の要素は多種多様です。摩擦感は環境の変化で常に変化するものです。濡れる、油脂が乗るなどの条件が付加されると、摩擦が加速条件に変わるケースも多々あるのです。故に摩擦を測定し数値が高いから安全ではないのですよ。滑りにくいのが安全なのです。ここのところがチ~トややこしいんですよね。
そこで、滑り官能パネラーとしてのウンチクを・・・。
摩擦測定値の過信が転倒事故を起こしている
摩擦測定値が高いほど安全と言う認識は決して間違いではないのですが、過信が事故に繋がっている事例が多い事実を否定することはできないのです。
一定の基準を満たさないから・・・?アスベストの判例
NHKのニュースでアスベストの裁判のことを報じてました。〃国2度目も敗訴〃と大きく報道されていました。
内容は、ある港湾でアスベスト処理を担当していた職員さんが癌を発症し、数年前に死亡した。癌発生要因がアスベストによるものと判明したので、労災の申請をしたが国が認めず裁判へと発展。一審において裁判所は原告の申しだてを認め、国は敗訴。国は二審の高等裁においても同じく敗訴した。
要はなぜ裁判となり、何故国は敗訴したのかってことです。
実は、国はアスベストによる癌発症において、体内に吸収されたアスベストの量に一定の基準を設定しているのです。アスベストによる癌発症であることを確信していながら労災が認められず、無念の思いを職員は奥様に託し亡くなったのです。職員が奥様に託した言葉・・・『白黒つけてくれ』・・・
国が上訴し最高裁まで発展することになるかもしれませんが、おそらく負けるでしょう。また敗訴し無能?をさらけ出すことになるのでしょうね。・・・裁判所の判断は・・・『アスベストの影響をうけ癌発症するものに、数字(基準)を適用するのは適正ではない。』・・・納得です。
数字が高かろうが低かろうが、発症するものはする。もっともな判決であります。
滑り止めにおける基準(数字)の役割とは?
滑り転倒事故裁判においても、ほぼ同様な判例が多いのはまさにそう言うことなんです。
基本的に基準(数字)は目安であって、決定事項とすべきではないのです。危険防止・災害防止等やむを得ず決定されるものは、法律により管理されるものだけで良いのです。当然遵守しなければいけないし、罰則規定はそのために設置されているのです。
予測・予防を基に目安的数字を用いることは、ある意味必要かつ重要であると思います。そのために何をするのかが問われる部分です。細かい事はさて置き、一つだけ例を挙げれば・・・私が子供の頃の天気予報はハズレが多くて・・・(笑)
滑りも最後は人にしか判断できない
今どうです?気象衛星のおかげで殆んどハズレなし。誰もが信じきっていますよね。昔人間で田舎育ちに私にとって、文明の発達発展には感謝あるのみです。
・・・でもね。衛星作ったのは人です。データを管理しているのも人です。データは秒・分単位でチェックされ更にデーター化されます。方向性・予測は、データと人の経験が一体化し生まれます。データだけでは判断できないって言うか、判断するのは人しかできないことなんです。
人の生命・人の感覚(官能)は、人工的には作成できないのです。そして文明も人によって進化してきたのです。鶏が先か卵が先かなんてレベルの話ではないのです。人の感性(官能感覚)があらゆる物を作ってきたのです。
なんやかんや・・・ややこしくなって来よりましたナ。・・・
要は数字は参考として、人の感覚・官能を優先すべきってことを言いたかったやけど・・・そこらヨロチク・・・(^-^;